私の懐古録 代官山 昭和50年代…6
「代官山クリニック」 1
駅前の高級マンションを回ると、旧山手通りに向かう道に出る。
右に曲がり少し行くと、道路の向かい側に「代官山クリニック」の看板が見える。
5階建てのマンションの一階部分にそのクリニックはあった。入り口は半地下だったが、玄関はおしゃれなつくりとなっていた。
昭和50年代は、病院か診療所、医院という名称が多かった。病院というのは、大きな入院施設を持った大学病院のことで、町中にあるのは、医院や診療所が多かったと思う。「クリニック」などと、おしゃれな名前を付けた病院は映画やテレビドラマのなかだけだった。
いや、実際にはたくさんあったのだろうが千葉の田舎から出てきた私には、初めて見る「クリニック」だったので、ドラマの一シーンを見ているような気分だった。
「クリニック」なのだから、いかにも診療費などが高そうで、金持ちや有名人相手の医院なのだろう。私が通うことはないと思っていた。
ある日、私は椅子から立ち上がろうとして、こけた。
腰をひねった瞬間ピキッと音がして力が抜けていく。転がった。声も出せないくらいに痛い。
幸い会社だったのでラッキーだった。これが自宅の安アパートだったら誰にも気づかれずに、転がったままだったろう。
そばにいた事務員が心配して「だ、だいじょうぶですか、立ち上がれます?」と声をかけてくれた。もう一人の事務員が「ぎっくり腰じゃない?」などと言っている。
ああ、そうか、これが世にいう「ぎっくり腰」かと頭をよぎった。
もし、そうなったら1週間程度休まなければいけないかもしれない。入社したばかりなのに1週間も休んだら、馘首(クビ)かもしれない。
私は机に手をかけて、事務員の助けでよろよろと立ち上がった。
腰は曲がったままだ。ただ、痛みが少しは和らいできた。
「救急車を呼んだほうがいいんじゃない?」
「いや、そこのクリニックに行ったほうが、早いわよ」
「歩けます」
「ええ、何とか…」
痛みが少し落ち着いてきた感じだった。
ということで、あの代官山クリニックで、診察を受けることとなった。
まるで安直なドラマの脚本のような展開だ、と思った。
クリニックの中は最新の医療機械が並んでいた。これは高い治療費を取られるな、痛さに耐えながらもそんなことを考えていた。
金は足りるか…?
診察台に上半身裸でうつぶせに寝かされた。ズボンとパンツをもっとおろして、と言われながら、尻の割れ目のあたりまでおろしたことを覚えている。白衣の看護婦(当時は婦だった)。美人という先入観もあった。恥ずかしいと思った瞬間、中年の先生の冷たい手が腰を中心に、あちらこちらを抑えだした。
痛いところと、痛くないところを探っているようだ。
「痛み止めの注射を打っておくから、2時間ほど安静にして様子を見ましょう。それでも痛かったら、またその時に考えましょう」と言って、帰された。
即入院とならなかったので、助かった。私の汚いラフな格好(Gパンにポロシャツ)を見て、入院させて治療費をとりっぱぐれたら、困る、とでも思ったか、そそくさと治療を終えた。
治療費は、普通に健康保険がきいて安かった。別に有名人や金持ち専用の病院ではなかったのか…。
クリニックという名前を付けていても、医院や診療所と変わりはなかった。ただ、看護婦は美人だった。