私の懐古録 代官山 昭和50年代…8

昔、東急Dのあったあたり。今は工事中。


「高級マンション」1

 

私の記憶が正しければ、代官山駅前の高級マンションは「東急Ⅾ」という名前だったような気がする。

そのマンションは、広い駐車スペースがあり、よそ者が入りがたい雰囲気であった。まるでプリンスホテルや帝国ホテルの正面玄関前の感じだった。

代官山は多くの芸能人が住んでいるという噂である。

実際に私の会社があるビルには、ちょっと前に(昭和50年代以前)アイドル的存在だった長沢純という歌手が通ってきていた。芸能事務所があるらしい。

 

東急Ⅾにも、有名人が住んでいると噂されていた。

私が聞いた名前では、渥美清アントニオ猪木夫妻(妻 倍賞美津子)などがいるという。

 

ある時、漫画制作部の新人スタッフUが、泊まり込みで仕事をしていた。

眠気覚ましと一服するため散歩していると、横にタクシーが止まった。乗客が下りてくる様子である。

だれだろうか?と、植え込みの陰で煙草に火をつけ、興味本位で見ていた。

降りてきたのはちょっと横幅のある中年のおっさんだったという。

なんだと思い、そのおっさんを追い越していくと、横顔がだれかに似ていた。

あっ、フーテンの寅さんだ。と思い、振り返る。

 

フーテンの寅さんは顔を隠すようにして、くるりとターンをし、タクシーがきた方向へ、足早に去っていく。

慌てて後をつける新人スタッフUだが、寅さんの足は速く、渋谷方向に向かう細い路地で、まかれてしまう。

高級マンションはすぐそこなのに、と反対方向に去っていった寅さんを見送っていたそうである。

 

有名人を身近で見てドキドキがおさまらない彼は、電信柱の陰で、あの高級マンションを見張っていた。

4本ほどタバコを吸うと、少しは落ち着いた。

やっぱり人違いだったか…。

そろそろ会社に戻ろうと、吸い殻をサンダルで消したとき、寅さんが不審者のようにきょろきょろしながら、高級マンションの庭に現れ、顔を隠すように玄関から入っていったというのである。

 

会社に戻ると、新人スタッフUは興奮して寅さんのねぐらを突き止めたよ、と私たち泊組に話していた。

私たちは「またあ…」と、疑っていた。

彼はうわさ話などをでっちあげるのが、得意だったからである。彼が言うことは、半分以上が彼の願望だった。

 

代官山の駅から左折し、旧山手通りを下ると駒沢通りに出る。右折して線路沿いを10分ほど歩くと中目黒駅にでる。

今では若者向けのおしゃれなお店が立ち並んでいる中目黒だが、昭和50年代は、赤ちょうちんが並ぶ街だった。

その中の一軒のAという店が、私たち新人の夜食兼飲み屋だった。

ホッピービアが置いてあって、いくら食べても飲んでも1000円でおつりがくるというところであった。

そんなある日、漫画制作部のサブチーフKⅠ賀氏とAで飲んだ帰りのことだった。

気持ちよい酔いで、駒沢通りを代官山に向かっていた。会社のスリーピングルームに泊まる予定であった。

人気は少なく、私たちの前を肩幅の広いがっしりした中年のおっさんだけが歩いていた。建築、土木関係のおっさんだろうと思い声をかけた。

「気分いいですね、こんな月夜は…」

「え、ああ、そうですね」

返事は、かなり紳士的だった。建築関係じゃないのかな?

「おじさんも、気分良く飲んできたんでしょう?」

「あ、いえ私は…。急ぎますんで、失礼します」ちらりとこちらに顔を向け、足早に去っていった。

私は驚いて、声が出なかった。渥美清氏であった。立ちすくんだまま、動けなかった。

I賀氏が「どうしたの? 知ってる人」と気づかないでいた。私が、渥美清だよと教えると、え、ほんと後をつけようぜ。ほんとにあの高級マンションに入っていくか確かめなきゃ。

I賀氏は、足早に去る影を追いかけた。私はそこから離れることができなかった。

それまでに、いわゆる有名人にあったのはこれが2人目だった。いなか育ちの私は、故郷の集会所近くの公園で、選挙の応援に来たジャイアント馬場を見て以来だった。顔が大きく、胸板が鉄板のような人という印象だけが残っている。

今回で2人目だ。たかがTVの画面やスクリーンで見る人に興奮して、何もできないでいる自分が、なさけなかった。

そこにI賀氏が戻ってきて「やっぱりあの高級マンションに入っていったよ。新人スタッフU君の言ったことは、本当だったんだ。時には彼も本当のことをいうんだな」

 

あの時、信じないで悪かったと思ったが、それよりも有名人を前にして、怖気ずに後をつけていく、彼らの勇気に感心した。私は、まったく動けなかったのだから。

 

最近、朝日新聞で「フーテンの寅さん」の監督山田洋次氏がインタビュー記事で、「主演の渥美さんは、自宅のちょっと手前でタクシーを降りて、少し歩いて自宅のマンションに入る」というようなことを言っていた。

 

あれがそうだったのだな、と思った。