私の懐古録 代官山 昭和50年代…5

 

「スリーピングルーム」

ある日、習作を続けていると突然に仕事(?)が舞い込んだ。

レギュラーで漫画原作を描いていた先輩ライターが病気で倒れた。

「巨乳デカ」の前編を書いて、後編が出来上がらない、ということだ。

漫画家さんに渡す原作の期限は、とっくに過ぎている。漫画家は、ぎりぎり今日中にもらえれば、何とかすると言っているらしい。

お話は、犯人たちが子供を人質を取って大物議員の私邸に立てこもった。犯人たちはマシンガンや銃やサバイバルナイフをもっている。主人公の巨乳デカが、丸腰で単身、私邸に乗り込む。主人公は両手を上げばんざいの格好で、ドアを開けて入っていく。待ち構える犯人たちは、銃の安全装置を外す。人質の大物議員の子供の泣き顔、というシーンで、続くとなっていた。

この続きを書けという指示である。締め切りは今夜の11時、今は午後4時。6時間あまればなんとかなる。ギリギリ終電に間に合う時間だ。

 話は簡単で、人質の子供を無事助けて、犯人を逮捕する。それも主人公の巨乳デカの派手な活躍によって。そして最後に警察署のデカ部屋で、よかった、よかった。ご苦労さん。で打ち上げシーンになればよいだけだった。

その頃、流行っていた刑事ドラマの定番の展開である。

ただ、犯人逮捕のアイディアが出せればよいだけだった。

ナイフや拳銃をちらつかせる犯人たち4人。こちらは1人の主人公だけ。無腰で武器を一切持っていない。言葉の説得に応じるタイプではない。凶悪な犯罪者タイプの犯人たちは、主人公をいたぶる。

そこからどうやって逆転をし、子供を無事助け、犯人を逮捕するのか?

私は、まず「巨乳デカ」これまでの話を読み始めた。初めて読む作品で、知識は全くなかった。どんなキャラで、何をもって事件を解決しているのかを知りたかったのだ。

主人公は、持ち前の巨乳を利用して解決していた。しかしそのアイディアは過去3話で使われていた。また今度も…、となるとまた同じ手か、と思われて読者が離れてしまう。なんとしても新しいアイディアで解決しなければいけない回だった。

 

同期のS氏は、その巨乳アイディアで書いたようだった。主人公を全裸にし、おっぱいを強調する。それに目を奪われた犯人の一部を倒し、皆を倒すというアイディアだ。

M氏は、無理だよ、にっちもさっちもいかない。と言って解決せずに、後編を終わらせることなく、続く、にしていた。

主婦作家のTさんは、相変わらず人情物作家らしく、泣き落としで犯人を降伏させていた。

私は、とりあえず第3話までを読み終えて、腹が減ったので、S氏とM氏を誘って駅の近くにある中華屋SL軒にチャーハンを食べに行った。

そこでM氏が、先輩のライターも、この部分に悩み、アイディアがでなくてにわか病気になったのかもね。冗談だけど…。などと言っていた。

 

食事をしたので、眠くなった私は2階にある「スリーピングルーム」で、仮眠をとることにした。

「スリーピングルーム」などとしゃれた名前がついていたが、リノリュームの床にカーペットを敷いて、その上にぺったんこの敷布団と掛け布団があるだけ。そこで雑魚寝をする部屋だった。

いつ掃除をしたのかわからないように、いつも異臭がしていた。しかし公然と眠れるのは、その場所だけだった。

私は、その場所で眠ろうとしたのだが、仕事部屋ではあくびが止まらなかったのに、締め切りへの不安が胸の内にわいてきて頭がさえてきた。「スリーピングルーム」では眠れなくなっていった。

仕方なく「巨乳デカ」を考えていた。主人公を活躍させるには、裸を出さなければいけない。全裸でなくてもせめて巨乳は絵で見せる必要がある。子どもは無傷で助ける。さらには素手で格闘は無理なので、武器が欲しかった。拳銃か、ナイフか、爆発物かを。

しかし頭の中は、同じ所でぐるぐる回っていて先に進まなかった。そのうちに眠ってしまったようだった。

午後10時ころ心配したS氏が起こしに来てくれて、目覚めた。

締め切りまであと一時間、私はまだ覚醒していない脳で、「巨乳デカ」の前編を読み返していた。

話よりも絵を追っていたような木がする。すると犯人たちが立てこもった居間の端のほうに、日本刀が描かれていた。いかにも雰囲気を出すために漫画家が勝手に描いたものだった。原作者が意図をもって描かせたものではない。

これだ! これを使おう、とすぐに原稿用紙に向かった。

そして締め切りの午後11時にぎりぎりまにあって提出できた。

 

結果、私のが採用された。

その後、若干の書き直しなどがあって、終電には間に合わず、あの「スリーピングルーム」に泊まることになった。

臭くて嫌な臭いだったのが、その夜は心弾む匂いに代わっていた。