2023-01-01から1年間の記事一覧
その日も最終電車に乗り遅れた。何しろ夜10時20分を過ぎると帰れなくなるのだ。 東横線の10時24分発の代官山発の電車に乗り、渋谷で山手線に乗り換えて、外回りで日暮里まで行く。 そこで常磐線の取手ゆき最終電車に乗り、柏まで約一時間弱、そこで寝てしま…
昔、東急Dのあったあたり。今は工事中。 「高級マンション」1 私の記憶が正しければ、代官山駅前の高級マンションは「東急Ⅾ」という名前だったような気がする。 そのマンションは、広い駐車スペースがあり、よそ者が入りがたい雰囲気であった。まるでプリン…
代官山クリニックがあった場所 「代官山クリニック」2 会社には、「漫画制作部門」があった。部長はTK田氏、隔週青年誌YCで連載をしていた。リアルな時代劇で、歴史学者から、漫画なのに歴史的事実に元づき時代考証がしっかりしている、と言われていた。 …
代官山クリニックがあった辺り… 「代官山クリニック」 1 駅前の高級マンションを回ると、旧山手通りに向かう道に出る。 右に曲がり少し行くと、道路の向かい側に「代官山クリニック」の看板が見える。 5階建てのマンションの一階部分にそのクリニックはあっ…
「スリーピングルーム」 ある日、習作を続けていると突然に仕事(?)が舞い込んだ。 レギュラーで漫画原作を描いていた先輩ライターが病気で倒れた。 「巨乳デカ」の前編を書いて、後編が出来上がらない、ということだ。 漫画家さんに渡す原作の期限は、と…
S氏は,私より少し年上だった。 子供向け番組の企画、制作、脚本化にはたくさん携わってきたという。 今回の大手映画会社は、子供向け番組を軽く見ていたようだ、と言っていた。 そのため子供向け番組の作り方を理解していないらしい。 だから本社の若手プロ…
たんなる習作を繰り返しているだけなので、作品に心が集中できなかった。 思い付きをてきとうに書いていく日々が続いた。 いつもの悪い癖が出たのだ。よい評価は出ない。 同期入社のほかのものは、小さいながらも掲載されるものを書いていた。 企画書を作る…
令和5年の代官山駅ホーム 新しくできた「シナリオ脚本部」は3階のエレベーター脇にあった。 できたばかりのせいか、中には机と椅子が5台あるだけだった。 みな壁に向かって並んでいた。原稿を書く際に、お互いが邪魔にならぬように、間仕切りもついていた。 …
01今の代官山駅 昭和50年代は、私にとって見るもの聞くもの何もかもが珍しいものだった。 限りなく茨城県に近い千葉に住んでいた私は、東京代官山の会社に入った。 通勤時間は2時間。山手線に乗るまでに1時間はかかるところに住んでいた私には代官山は見知ら…