私の懐古録 代官山 昭和50年代…3

たんなる習作を繰り返しているだけなので、作品に心が集中できなかった。

思い付きをてきとうに書いていく日々が続いた。

いつもの悪い癖が出たのだ。よい評価は出ない。

同期入社のほかのものは、小さいながらも掲載されるものを書いていた。

企画書を作る作業も多かったが、どうせ形にならないだろうと、定番のものを提出していた。

そんな中、子供向けのSF番組の企画書が大手映画会社のプロデューサーの目に留まったようだった。

この企画を練り上げて来春放送予定の夜6時台の子供番組にしたい。

ついては、来週から1週間Pホテルに泊まり完璧な企画書を練り上げてほしい、ということだった。

私は、ホテルに缶詰めなどということは、話には聞いていたけれど、実際にあるとは思っていなかったので、話半分にきていた。

あんな適当にでっち上げた企画にのるなんて、胡散臭い話だ、と思っていた。

同席していた専務は、素晴らしい、ぜひ放送にこぎつけよう、とはしゃいでいる。

翌週からPホテルに缶詰めとなった。企画立案には大手映画会社からシナリオライターがきた。S氏である。2人で1週間かけて企画書を創り上げていくことになる。